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片腕は雌ドラゴン?近代化学の父ラヴォアジェ(3)

女は夜叉にも菩薩にもなる

 妻が勉強することを認め、ここまで「自分の仕事に立ち入らせてその功績を認めた」夫ラヴォアジエの男としての度量も相当なモノだ、と思うのです。『化学要綱』の挿絵には妻の署名を入れさせていますし、翻訳書にも彼女の名前を残しています。当時としては女性の名が入るのは珍しいことです。

あの女は雌ドラゴン

 ちなみに、先の話になってしまいますが、ラヴォアジエの死後、未亡人となったマリー・アンヌは科学者のラムフォード伯爵と再婚します。再婚後の生活のために行った彼女の館の改装工事で、マリー・アンヌは自分の書斎とラムフォードの実験室を専用の階段でつなげさせました。そのことからも「科学な結婚生活」の再現を夢見ていたのがわかりますよね。一方、ラムフォード伯爵にとって家庭とは、ただただ「主人である夫のやすらぎの場」であって欲しかったようです。妻が実験室に入りたがることも自宅のサロンを催すことも彼には我慢できなかったみたい。 結婚一周年で、ラムフォード伯爵は前妻との娘への手紙に「私はあの女を雌ドラゴンだと思って接している。これでもあの女には親切すぎるネーミングだと言っていい」なんて書いているくらい。その後、この夫婦はパリ中のウワサになるくらいのいさかいの末、離婚に至ります。

雌ドラゴンと呼ばれたマリー・アンヌ。ラヴォアジエにとっては最高の右腕であり伴侶でしたが、ラムフォード伯爵にとっては最悪の組みあわせ。一人の男性の前でも、女は時には夜叉にもなるし、菩薩にもなる。え、経験したことがない? そんなひとは幸せとも言えるし、人生の醍醐味を味わっていないといえるかも(ほんと?)。とりあえず、結婚って難しいものですねぇ……とお茶を濁しておきましょう。

彼の頭脳をつくるのは100年かかる

 さて、話はラヴォアジエが生きている時代に戻ります。裕福で何不自由なく生活を送っていたラヴォアジエ夫妻ですが、ときはフランス革命の時代。民衆の憎悪は王族に続いて徴税請負人にも向かいます。なんといっても徴税請負人自身は民衆から税金を取り立てる仕事をしていた人たち。憎しみが集中しても仕方ないことでしょう。政府に納めるべき金額よりも多く取り立てて、私腹を肥やしていた徴税請負人もいたようですし。

 実際、悪質かどうかはともかく、徴税請負人という仕事は高給取りだったことは確かです。当時「科学者」というのが職業として成立していなかった時代です。科学をするためにはお金が必要でした。そのためにラヴォアジエは徴税請負人としてお金を取り立てたり、さまざまな官職に就いていた、ともいえますが……。あるとき、科学仲間に「そんなにお金を取り立てることよりも、化学の研究に時間を費やしたら?」と言われたところ、何も答えなかった、という話も残っています。化学の研究のために徴税請負人という仕事についたのでしょうが、ひょっとしたら「裕福な暮らし」の維持のためでもあったかもしれません。なんといっても生まれも育ちもお金に苦労したことがない坊ちゃんですからね〜。

 それでも「私たちは不正な取り立て行為はしていない」と主張したラヴォアジエとマリー・アンヌの父(徴税請負人組合長だった)は自ら出頭するのです。不正な着服をしていないことを認めてもらうために、獄中で処刑の前夜まで徴税請負の収支決算書を作ったラヴォアジエ。その努力も虚しく、彼らは断頭台の露と消えるのです。数学者として有名な、同時代のラグランジュはラヴォアジエの処刑に対し「彼の首をはねるのは一瞬だが、彼の頭脳をつくるのは100年かかる」と嘆きました。確かにその通り!

マリー・アンヌの奔走

 妻、マリー・アンヌは夫と父が獄中にいたときに、その助命を求めて独力で奔走します。なぜか彼の業績を知っていて弁護できる立場にあったフランス学士院も、まったく救出のために動かなかったんですよね。妻以外、彼の命を助けようとしなかったことから「ラヴォアジエは天才特有の傲慢な性格だったから友人がいなかった」とか「ラヴォアジエの並外れた業績への嫉妬があったから」と言われたりするのですが。

 きっと、この恐怖政治の革命下「保身」から、関わりになって自分の命まで危なくなるのが恐かった、というのも大きかったんじゃないかなと私は勝手に想像します。だって、ろくな裁判もされずにギロチンにかけられてしまう体制下ですもの。そんなときは自分の命が惜しくなってしまうに違いありません。まー実際、ラヴォアジエの傲慢なキャラクターも伝えられていることも確かなのですが。

 そのマリー・アンヌの努力も虚しく、夫はギロチンにかけられてしまいます。そして彼女を襲う更なる不幸が! 財産を全て没収され、彼女自身も囚われの身になってしまいました。「もはやこれまで」と思われたとき、テルミドール九日を迎えたのです。恐怖政治が終わりを告げ、マリー・アンヌの命は助かります。ここからのマリー・アンヌの行動がすごい! 忍耐強く家屋敷などの不動産の他、亡き夫の本・家具・実験装置などを要求しついに自らの手に取り戻します。いやいや、たいした手腕です。再婚相手の夫が「雌ドラゴン」といったのもあながち大げさではなかったかも? なんて。ちなみに、それらの実験装置、例えば天秤にしても現在の価格で一台数千万円になるとか。それらが「近代化学」を作り上げたのですが、徴税請負人としての収入、つまり当時の国民の血税から生まれたと思うとフクザツな気分になってしまいます。

鉄の女

 こうして再び彼女は名誉と財産を取り戻し、サロンを開いて現役の社交夫人として復活するのでした。そして彼女は夫、ラヴォアジエが獄中でも校正を続けた絶筆『化学論集』を出版するということもしています。

 そして先に書いた科学者、ラムフォード伯爵と再婚することになるのですが、マリー・アンヌは結婚契約書に「ラヴォアジエ・ド・ラムフォード夫人」と名乗ると断固として明記したのです。ラムフォード伯爵はしぶしぶ了承したようですが……。前夫の姓を入れる、なんて非常識な話。ラムフォード伯爵だって相当面白くなかったに違いません。それも結婚生活が上手くいかなかった一因かも……。

 ラムフォード伯爵だって、前夫ラヴォアジエが偉大な科学者だった、ってことはわかっているわけだし、相当プライドを傷つけられたでしょう。でも一方で、マリー・アンヌにとってラヴォアジエとの絆がどれだけ強かったか、ということもよくわかるエピソードです。再婚は失敗だったけど、それだけの夫・ラヴォアジエと二人三脚で化学ができたマリー・アンヌを羨ましく思う私なのでした。

【参考文献】 化学物語25講―生きるために大切な化学の知識
エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴワジエ―18世紀フランスのジェンダーと科学

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