「身近な科学を教える」という趣旨の講演等の依頼を受けることがある。正直、私は話し手として自信がない。熱心に耳を傾けてくださる聴衆の皆さんに助けられ、ようやく形になっている状況だ。そんなとき、教える側と教わる側の区別はないと感じる。
特に、私にとって優秀な「教師」は子どもたちだ。子どもたち相手には、実験を取り入れた形の「授業」になる。生徒であるはずの彼らは、授業態度からして申し分ない。これはおとなしく席につき、私の話を待っているという意味ではない。授業と聞くと、大人はどうしても身構えてしまい、メモする体勢で待つ。だが子どもたちはそんな殊勝ではない。まず騒がしい。そして「面白いこと期待しているからね」という目を向けている。挑戦的で、不遜な視線と言えるかもしれない。私は緊張もするが、勇気づけられる。
実験の最中の彼らの目はみるみる輝く。そして熱中のあまり?暴走した子は、教え手あるはずの私の指示を無視し始めるのだ。ある実験教室のときだ。一つの実験が終わり、二つ目に移った。すると「先生、これ何?」という質問が飛んできた。この質問の主は、前の実験を自主的に続行していたのだ。一般的には模範的ではない生徒だろうが、彼は自ら新しい発見をした。
私は次回からの実験教室は、この「発見」を取り入れてバージョンアップさせることにした。立場がすっかり逆転だ。小さい先生に教わることばかりである。
平成21年6月16日(火)掲載